南房総市千倉町「寺庭区八幡神社」概要
創建:不明 (旧本殿建築:安政三年(1856年)十月)
旧本殿は現在地、北朝夷521番地1(産士神 -うぶのかみ-)に安政三年に建築された。
旧拝殿(分社)は北朝夷2830番地付近、現館山消防署千倉消防分署裏の児童公園付近(浜の郷)にあり、昭和38年9月15日に現在地へ移築された。
なお、産士神の歴史は古く、現在も社殿裏の岩山中腹に鎮座する。
現在、千倉消防分署裏の児童公園の一角には、天明2年(1782年)の手水石、大正5年(1916年)の墓石、馬頭観音(馬の守護神)、お稲荷様、延命地蔵尊が共に安置されている。当時は石造延命地蔵尊も同場所にあったが、浜の郷の土地造成等に伴い、小高い山であった産士神(北朝夷521番地1 八幡神社本殿)へ拝殿が移築され、当神社には稲荷様が二体(宮殿内)、白馬が一体安置されており、浜の郷にある馬頭観音、お稲荷様との関係が深いとされる。また、寺庭区の馬頭観音は、かつて行われていた浜の郷の競馬場の存在を現在に伝える数少ない痕跡となっている。
寺庭区八幡神社の例大祭は11月23日〜25日の三日間行われ、かつては「浜の郷の大祭(はまんごうのまっち)」と呼ばれ、現在千倉自動車教習所(同町北朝夷)となっている分社の馬場で草競馬を催していた。安房郡内のほか、木更津や久留里からも農耕馬がやってきて、多くの露店が出店し、サーカス小屋が興行するなど、昭和27年ごろまで大変な盛況ぶりであった。昭和30年代頃までは館山の八幡の祭り(やわたんまち)と並び、安房の三大祭りと言われるほどであった。
やがて草競馬が開催されなくなり、分社の拝殿を本社に移設して現在の形になった。
最近では勝運と馬の神様として一部の会社経営者や受験生、競馬ファンなど、東京都内はもとより、関東近郊からも参拝者が訪れるようになった。しかし、同時に社殿等へ千社札も多く貼られるようになったため、新社殿では千社札を禁止している。
旧社殿には、安房の名工、初代後藤義光の手によって立派な龍や獅子が彫り刻まれていたが、社殿建替え(平成28年11月7日竣工)により、これらの彫刻を修復して新社殿へ移設した。祭りは縮小したが一方で、かつて300戸の寺庭集落は現在では500戸超となり、南房総市内最大の地区に発展している。